1867年末、幕府は、英・米・仏の合同調査に基づき、もっとも緊急性が高いものとして、観音崎、野島崎、城ヶ島および品川第二砲台の4か所の灯台建設を優先的に着工することを決めた。 そして、それには先にフランスに発注してあった灯器を当てるということもあって、すでに横須賀製作所の傭人として来日していたフランス人技師F・L・ヴェルニーに建設を依頼した。 ただし、その直後に王制復古のクーデターが起き、幕府が倒れたため、工事の着工は延期されることになる。
(c)1993 株式会社 成山堂書店 「日本の灯台」長岡日出雄
野島埼灯台(明治2年12月)
T90,90/2.5,F5.6AE,RVP,950115
品川灯台(明治3年3月、現在は明治村に保存されている)
城ヶ島灯台(明治3年8月)